生き甲斐プラス



★奇想天外な自然界の動植物の生き方を見ていると  あぁ 発想や生き方はもっと自由でいいんだと感心させられます。


ことにあらゆる物事がビジネス優先の昨今、

【人のくらしを豊かにするための経済発展が】→【経済発展のために人が犠牲になる】

本末転倒な時代になってしまった気もします。


いや、他人の犠牲のもと自らの豊かさを得ている事は大昔から何も変わってないのだとも感じます。


せめて自分くらいは『アルマジロ』のように自由にコロコロと "自分の豊かさの基準" で生きてみようと思っても、なかなか同一色の社会のなかでは環境を得られず難しい部分もありますね。


でもたった一度の人生、今ある環境の中でも視点を変えて"自分の豊かさの基準"を失わずに生きるチャレンジをしてみてはどうでしょう。


上手くいかない時、打ちのめされた時には "心の栄養" が必要ですが、

意外と生活の身近なところ "日常 " に『心の栄養=生きた芸術』が溢れてることに気付くかもしれません。


鮮度の良いものは元気が出る


『生きた芸術』 というのは何も偉そうに 世の中の素晴らしい音楽や芸術の面々が死んでいると言うのではありません。


『生の』音楽や芸術をもっと生活に身近なものにすることで、その人の『生きる』を支える日常的な心の栄養として本来の価値を得て生きて(活きて)くるのではと感じるものです。


『生もの』は新鮮で保存がききません。

自然のあるべき当たり前の姿を味わうと言うことです。

自然はどんなに社会が変化しても変わらず人間のそばにあります。


★芸術も自然の様に誰のそばにも当たり前に変わらずあるのだと思います。


そして旬のものは食べると元気が出ますよね。


★与えられた環境のなかでたくましく生きている『自然』は知恵とエネルギーに溢れているのだと思います。


その一瞬しか味わえない生ものを!


心に響くこと


おふくろの味とか、

親父の背中とか、

友人の一言とか、

故郷のにおいとか、

我が子の誕生とか、

時には人の死だとか、、、


色々人それぞれですが、

★長く人の心の中で生き続け その後の人生の支えとなるような感動は  発し手が感動させてやろうとか 技術で魅せてやろうとか思って意図的に起こることでは必ずしもありません。


音楽や芸術も "素直に" 発信されたものが  たまたま誰か受け手の心の中の何かと結びついて響き、自由に変化し、生き続けることで 、それがやがて その人が生きて行く上でのあらゆる場面で 支えや活力となり なるのだと思います。


先入観を棄てて/主役は自分


★様々な生き方の人間がいて 人知れず本当に絶望の縁にある人間もたくさんいて、そういった人達の心に伝わり救いとなるものであるとするならば、その発し手が誰であろうと どんな肩書きの持ち主であろうと本来は関係無いわけです。


増してや発し手が人間である必要も無いわけです。

たまたま見上げた綺麗な月や、普段の道端に咲いた小さな花であっても 人間の背中を押す事もあります。


もちろん商業的に神格化されたタレントやアーティストに興じるのも生きる上での励みになることは多々あります。 大切なのはあくまでも主役は受け手、本質的には発し手のエゴだけでは為されないのだと感じます。


自由に触れて、自由に感じて、

自分主体で良いと思うのです。


自分を理解して貰えると心が拡がる様に、

他人への理解の大切さに気付く気がします。


人が生きる推進力となってこそ芸術


『食』と同様 音楽や芸術と言われるものは "商業的に成功していなくても" 人間が生きていく上でとても大事なものだと感じます。


★それは人間の身体と心を満たすものだからです。


★さらには人間の"身体と心"は 人間が行う全ての行動の根源となるからです。


そこが音楽や芸術と言われるものが他の商業的材料とは異なり、"売上げ" や "規模の大小" に関わらず 人間の生活に自然に備わっていなくてはいけないモノなのだと感じるのです。


★数多にある飲食店、無名でも人々の心身を満たす地域の名店はたくさんあります。

家庭の料理でもそうです。


同様に、

テレビメディア的に有名ではなくても心満たす"芸術"は身近にたくさんあふれていると思うのです。


★それは人間の数だけ多種多様に存在して、特別な場だけでなく、私達の人間の生活の中に密接に、 当たり前に備わっているものなのだとも思います。


★発し手がそれを芸術として意識的に発信しているとも限りません。


★自然界の風景などは正にそうで、何かを意図して作られた風景ではないのに、多くの人間は心が落ち着き癒され魅了されます。


★"自然"であることの理屈にならないエネルギーだと感じます。


近所の八百屋の毎日の挨拶、レジの店員さんの笑顔、駅に向かう商店街の風景、道端のポスター、犬、猫、雀、、、

受け手の感じ方次第であらゆるものは芸術となりその人の人生を前に推し進めます。 その人はまた他の誰かにとっての前に進む力となって行き、本来なら良い循環社会に繋がって行くのではとも思います。


変哲の無いと感じている日々の生活の中でも、

是非少し視点を変えて一歩踏み出してみて、 "自分にとっての"  生きた芸術を日常に!

日々の生活に生き甲斐をプラスしてみては♪



                                                    〔有馬 治郎〕